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2008/08/08 21:25|ミュージックCM:0
 



サザンオールスターズ - 真夏の果実

真夏の果実』(まなつのかじつ)は、サザンオールスターズの28枚目のシングル。1990年7月25日発売。発売元はビクターTAISHITAレーベル。

ボーカルである桑田佳祐が初監督作品として製作した映画「稲村ジェーン」主題歌。

オリコン週間チャートの初登場順位は5位であり、その後最高位4位を記録、映画の同名サウンドトラック『稲村ジェーン』に収録されたものの、ロングヒットを続けた。リクルート「B-ing」CMソングにもなった。


<収録曲>

  1. 真夏の果実
    (作詞・作曲:桑田佳祐 編曲:サザンオールスターズ & 小林武史)
    弦楽器はウクレレのみで演奏され、ギターの大森隆志が担当している。PVはほぼ映画『稲村ジェーン』から派出した映像のみの構成となっている。PVのほか、2003年のDVD『Inside Outside U・M・I』にイメージビデオが収録された。
    この曲から、小林武史がサザンの楽曲のアレンジを担当するようになった。
    桑田は自身のラジオ番組で時折「この曲はサザンの中で一番好きかもしれない」と発言しており、この後に発売されたサザンの全てのベストアルバムに収録されている。
    他のミュージシャンにカバーされることもしばしばあり、台湾のテレサ・テンも原曲のタイトルと歌詞そのままでカバーした。また、台湾の剛澤斌が「妳在他郷」・香港の歌手・張學友が「毎天愛你多一些」というタイトルで別の歌詞でカバーしている。2006年には河村隆一が、2007年には歌舞伎町にあるホストクラブ、AIR GROUPがカバーしている。
  2. ナチカサヌ恋歌 (Live at BUDOKAN)
    (作詞・作曲:桑田佳祐 編曲:サザンオールスターズ)
    同年年始発売のアルバム『Southern All Stars』収録曲。ライブツアー『夢で逢いまSHOW』の日本武道館公演の音源である。ボーカルは原由子。沖縄をモチーフにした歌詞と曲調であり、オリジナル盤と同様このバージョンでもお囃子などが使われている。『ナチカサヌ』とは『悲しい』の意。北谷などの地名も歌詞に登場。


桑田 佳祐くわた けいすけ、1956年2月26日 - )は、神奈川県茅ヶ崎市出身の日本のロックミュージシャン、シンガーソングライター。

<概要>

サザンオールスターズのリーダーであり、ボーカル・ギターと作詞・作曲を担当。所属事務所はアミューズ、所属レコード会社はビクターエンタテインメントタイシタレーベル。嘉門 雄三かもん ゆうぞう)、桑竹 居助くわたけ いすけ)、夷撫 悶汰いヴ もんた)、古賀 紅太こが こうた)などの変名を用いたこともある。

鎌倉学園高等学校卒業、青山学院大学経営学部除籍。身長169.5cm。A型の右利き。通称は「すけちゃん」「ケイちゃん」「桑っちょ」など。妻は同じサザンのメンバーである原由子で、芸能界きってのおしどり夫婦として知られる。1982年に結婚し、これまでに2男をもうける。

<人物>

サザンオールスターズのリード・オフ・マンとして知られている。『いとしのエリー』、『真夏の果実』、『TSUNAMI』などヒット曲を数多く作り、歌う。作詞では愛、セックス、世相を風刺的に表現し、時にエロティックであり、時にユーモラス・ナンセンスであり、時に切なく泣かせ、時にシリアス。楽曲それぞれで様々なタイプの歌詞を書く。ソロでの音楽活動も精力的で、メジャーデビュー以来一貫して邦楽 (J-POP)の第一線を走り続ける。音楽雑誌『ロッキング・オン』からは、ポップスの神なる称号を授与されている。また、日本の数々のミュージシャンに影響を与えており、本人が「桑田さん(サザン)のファンです」「影響を受けています」等公言したミュージシャンも多数に渡る。

青山学院大学在学中よりバンド活動を盛んに行い、「温泉あんまももひきバンド」「脳卒中」「ピストン桑田とシリンダーズ」「青学ドミノス」など多くのバンドを結成しては潰しを繰り返し、最後に結成したサザンオールスターズが現在まで続く。「サザンオールスターズ」というバンド名は友人がつけたもの。

プロレスファンでアントニオ猪木を敬愛している。猪木とは幾度か共演も果たしている。ライブの煽りではスタン・ハンセンの決め台詞「ウィー!」や、猪木の決め台詞「1、2、3、ダー!」を叫ぶのが定番。2007年、「WONDA」(アサヒ飲料)のCMで(合成映像の)ジャイアント馬場と“共演”した際に馬場から“十六文キック”を浴びせられた。

サザンが実力派バンドとして認知されてからも、本人は一貫して下ネタ好きの三枚目なキャラクターを通しており、ある意味ミュージシャンらしくない気取らない性格がファンから愛されている。ライブでは客席に向けての「ヤらせろ!!」や、「乳首見せろ!」「パンツ脱げ!」などのセクハラ発言は恒例で、テレビ番組出演の際に放送禁止用語を言ってしまうこともある。『THE 夢人島 Fes.2006』ではWOWOWの生放送にも関わらず放送禁止用語を言ってしまった。

特に自身のラジオ番組『TSUNEISHI GROUP SATURDAY NIGHT CRUISE 桑田佳祐のやさしい夜遊び』(TOKYO FM製作)では毎週のごとく下ネタを連発している。お題がセクシー路線の場合、リスナーからの投稿は殆ど、桑田が思わず放送禁止用語を言ってしまいそうなネタが多い。番組内の企画である『1.2のサザンクイズ』では、選択肢に放送禁止用語やセクハラまがいの内容が入っているのが恒例。尚同じ事務所のアミューズの福山雅治と同じく大のアダルトビデオ好きで、夏目ナナや及川奈央の大ファンとラジオで公言している。2003年の桑田の誕生日で福山から及川奈央の2枚組DVDをプレゼントで貰った事もラジオで言っている。

『夜遊び』ではリスナーにおねだりして食品や写真集などをTOKYO FM宛にお願いしたために妻の原から「ラジオでおねだりするのはもうやめて」と言われた事があった。

ライブや音楽番組では、高い頻度で歌詞を間違える。ライブで歌詞や段取りをよく間違えることは本人も自覚しているらしく、「間違えた時はスタッフを睨みつけてスタッフのせいにする」と自らコメントしていたが、視聴者向けのネタなのか本音なのかは不明。

レコーディングなどではギターを担当することが殆どだが、時にベース、ドラムス、キーボードなども演奏するマルチプレイヤーでもあり、特にソロ名義の『素敵な未来を見て欲しい』や『MUSIC TIGER』などは桑田1人ですべての楽器が演奏されている。

ギタリストとしてクローズアップされる事は比較的少ないが、ボトルネックによるスライドギターのプレイヤーとしても知られ、サザンのライブでも曲の間奏で度々その姿を確認する事が出来る。KUWATA BANDのライブでもギター演奏を披露した。しかし本人によると「コードとかはよくわからない。」らしい。

1980年代~1990年代前期まで、ライブや音楽番組などでは時にステージに寝転がったり飛び跳ねたりの不可解で激しい、過剰とも言えるパフォーマンスが特徴であった。MCや曲中の煽りなども所謂「縦ノリ」の男臭いロックミュージシャンらしい姿が見られていたが、1993年~1995年辺りを境に、「おどけた中年オヤジ」としてのキャラクターを前面に出すようになり、ライブやラジオ番組でも下ネタやオヤジギャグを連発する事も多くなった。近年は激しい動きは少なくなった反面、ギターのソロプレイを魅せる割合が多くなり、加齢と共に味わい深いギターを聴かせている。かつてはライブ終盤での客席への紙コップの水撒きも定番であったが、やはり最近は行っていない。

曲作りは殆どが曲先であり、デタラメ英語等での仮歌段階のまま編曲までほぼ全てを終わらせたのち、仮歌の語感を崩さない言葉を選び、そこから歌詞全体のテーマ・世界感を決める。その為、日本語・英語ともに文法的には間違っている歌詞も多々あり、間違いを指摘されたり「意味が分からない」等と批判される事もあるが、文章の正確さよりも語呂の良さ・符割などを優先させるが故の結果である。古文・方言・都々逸も用い、メロディに合う言葉がないのなら造語を自分で作ってしまう。

また、英語と日本語とのダブル・ミーニングも取り入れており、楽曲は歌詞カードも含めての作品なので、歌詞カードもじっくり読んで欲しいとの思いも込められている。

作詞の際には作品中やタイトルに人名を登場させることも多い。特定の人物を讃えた曲もあるが、名前のみを身近な人物または縁の人物の中などから、歌詞全体とメロディに合う語感として引用し、特定の人物は指していない場合が多い。前者は『吉田拓郎の唄』『星空のビリー・ホリデイ』『Dear John』『唐人物語』など。後者は『いとしのエリー』『チャコの海岸物語』『そんなヒロシに騙されて』『MARIKO』『シュラバ★ラ★バンバ』『可愛いミーナ』他多数曲で使われている。

サザンとソロそれぞれの活動を数年毎のローテーションで行い、どちらともセールス・ビジネス的にも成功を維持し続ける事が出来る稀有なミュージシャンだが、それゆえ、サザンとソロとの活動の違いが分かり難い場合も多い。この質問疑問に対し桑田は、サザンのメンバーやサザンとしての活動は家族・家庭であり、ソロ時のサポートメンバー及びソロとしての活動は愛人と逢っているようなものと例え、サザンの楽曲やソロの楽曲はそれぞれの間で生まれた子供達だという、男女の愛と性をリアルに唄う桑田ならではの表現をしている。また、プロレスラーの武藤敬司にも例え、サザンの時は素顔の武藤として戦い、ソロの時はペイントをしてグレート・ムタとして戦うとも表現している。

また、ソロ名義で出演するライブやフェスティバル、単独名義で行っている自身のラジオ番組のライブなどではサザン名義の楽曲も演奏されることがある。この点に関しファンからは「ソロのライブでサザンの曲を唄わないで欲しい」との意見もあったが、その意見に対し桑田は「ファンの気持ちも分かるんですけど、『唄ったっていいじゃん、どっちでもいいじゃん』て思う時も実はあるんですよね」とインタビューで応えている。ソロ名義で行うワンマンライブやツアーでは、基本的にサザン名義の楽曲が歌われることは少ない。1986年のKUWATA BANDのときは、ライブでサザンの曲を封印していたが、1988年のサザン復活ライブでは途中に桑田ソロコーナーを設け、「スキップ・ビート」も歌っていた。

<音楽活動>

バンド活動と並行したり休業しつつソロ活動を行っているが、活動期によりテーマやコンセプトを大きく異なることでサザンオールスターズとの活動とは特に一線を画している。

1986年のKUWATA BAND結成時には、桑田が「ロックを唄うのは英語しかない」と考えが行き着いた頃で、英語詞の洋楽テイストに拘っていたこともある。その結果、KUWATA BAND唯一のスタジオアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』は、日本語詞中心に構成されたシングル曲は一切未収録とし、全曲新曲の全英語詞アルバムになった。しかし、発売後暫くは自身も完成度に満足していない旨の発言が目立っていた。その後考え方に変化が見られたのか、現在ではソロ名義のコンサートでKUWATA BANDの楽曲(シングル曲のみ)が演奏されることも多くなっている。

1987年~88年の第1期ソロ活動では、ミュージックシーケンサープログラミングや打ち込み中心のポップス路線を展開。1993年~94年の第2期ソロ活動は、内省的な歌詞を用いたアコースティック(アンプラグド)・フォーク路線など、サザンとの差別化を図る。

2001年からも第3期のソロ活動が始まるが、特に前半の2001年は逆に差別化には拘らなくなった。この時はサザンでのメンバー脱退による移行があったため、もともとサザン名義で発表する予定だった楽曲をソロ名義で発売したものもある。また、逆にソロワークとして製作していた楽曲を、サザンとしてカラーやアレンジを加えて発表した曲も生まれている(恋するレスポール等)。後半の2002年は、バンド形態の本格派ロックをコンセプトにしており、特にサザンでの活動との差が色濃く出ている。CMタイアップとの関係で思い切りポップ寄りな曲に挑戦した2001年に対し、2002年に発売された作品はシングル・アルバム共に歴然とテーマの違いが出ている。2001年に発表された楽曲はアルバムに収録されることなく、ソロ活動の集大成として発表されたベストアルバムに収録された。

2007年は桑田にとって第4期のソロ活動となり、ソロシングルリリースに続き11月から12月にかけてのソロツアーも行われた。楽曲的にはサザンとの差別化は特に図られていないが、この4期目のソロ活動について桑田は、ラジオ番組や音楽雑誌インタビューなどの各メディアにおいて、『来年のサザン30周年に向けての足懸かりとしての期間』という旨のコメントをしている。

2008年3月23日に、沖縄県・石垣島で行われた桑田の特別ライブ「Meet the Music 2008! 全国民放FM53局&KDDI present 桑田佳祐アコースティックライブ in 石垣島」の模様が日本全国の民放FM53局(JFN系列38局、JFL系列5局、MegaNet系列4局及び独立局6局)で同時生中継された。これは、全国の民放FMラジオ全局で構成する「全国FM連合」がKDDIの特別協賛によるキャンペーンの一環として、TOKYO FMが幹事局となって製作。系列の異なるFMラジオ局がネットワークの垣根を越えて1人のアーティストのライブ中継を放送するのは史上初の試みである。

<略歴>

  • 1956年
    • 2月26日、神奈川県茅ヶ崎市に生まれる。
  • 1977年
    • サザンオールスターズとして、アマチュアバンドのコンテスト「ヤマハEastWest'77」に出場。ベストボーカル賞を受賞。この時に決勝で対戦したのは、シャネルズの鈴木雅之だった。
  • 1978年
    • 6月25日、ビクター音楽産業よりサザンオールスターズとして『勝手にシンドバッド』でメジャーデビュー。
  • 1979年
    • 「オールナイトニッポン」(ニッポン放送などNRN全国ネット)木曜1部を担当。
  • 1980年
    • スペクトラムのギタリスト・西慎嗣のソロアルバム『NISHI』をプロデュース。
  • 1981年
    • 生理用品アンネナプキンのCMに出演。
    • タモリのシングル曲『狂い咲きフライデイ・ナイト』を楽曲提供。
    • 3月、渋谷eggmanにて、嘉門雄三の変名で『嘉門雄三&Victor Wheels』としてライブを行い、洋楽のカバーを歌う。メンバーは桑田・関口和之・斎藤誠・国本佳宏・宮田茂男・今野多久郎。原由子も数曲参加した。
    • 自身がプロデュースした原由子初のソロシングル『I LOVE YOUはひとりごと』が卑猥な歌詞のため放送禁止曲に。ビクタービル屋上にて抗議のゲリラライブを行うが、警察が出動するなどの騒ぎとなる。
  • 1982年
    • 2月26日、原由子と入籍。28日には結婚披露宴も行う。会場にはファンを招待し、タモリ、ラッツ&スターなどの芸能人も出席した。
    • 小林克也率いる「ザ・ナンバーワン・バンド」の1stアルバム『もも』にて曲を提供。また『六本木のベンちゃん』ではボーカルも担当。
    • 中村雅俊に『恋人も濡れる街角』を提供。
    • 12月31日、NHK紅白歌合戦での三波春夫パフォーマンスが物議を醸す。『チャコの海岸物語』でサザンとして2度目の紅白出場を果たした際のものであり、当時の「紅白=厳粛な雰囲気」という等式を打ち破るきっかけとなった。この時の間奏での桑田の発言は以下のとおり。
      「国民の皆様、ありがとうございます。私たち放送禁止もたくさんございますが、こうしていけしゃあしゃあとNHKに出演させて頂いております。とにかく、受信料は払いましょう! 裏番組はビデオで見ましょう!!」
    • 研ナオコが歌った「夏をあきらめて」で第24回日本レコード大賞作曲賞受賞。
  • 1983年
    • 親交ある明石家さんまが「オレたちひょうきん族」で演ずるアミダばばあのために、『アミダばばあの唄』を提供する。
    • 高田みづえがカバーした『そんなヒロシに騙されて』が第25回日本レコード大賞・金賞を受賞。
  • 1984年
    • 「オールナイトニッポン」に復帰。火曜1部を担当する。
  • 1985年
    • ラッツ&スターのメンバー全員の合同結婚式において媒酌人を務める。このときリーダー・鈴木雅之の父との会話が、後1996年のアルバム(サザン名義)『Young Love』に収録される『心を込めて花束を』を生むきっかけとなる。
    • 6月15日、佐野元春なども参加したイベントライブ『ALL TOGETHER NOW』に飛び入り出演。段取り無視のパフォーマンスに佐野元春はあっけに取られたが、怒ってはいなかったという。
    • 10月、サザンのツアー『KAMAKURA TO SENEGAL』で共演したトゥレ・クンダへのお礼の為、アフリカ・セネガルへ渡りトゥレ一家の元を訪れる。この模様はドキュメンタリー番組としてテレビでも放映された。
  • 1986年
    • 原の産休に伴いサザンは最初の休業期間に入り、各メンバーのソロ活動がはじまる。
    • 4月、1年限定のソロプロジェクト「KUWATA BAND」結成、『BAN BAN BAN』でデビュー。桑田は音楽番組やライブで度々「新人です!」と強調していた。
    • 12月24日、クリスマス・イヴの夜の生放送番組「メリー・クリスマス・ショー」 (日本テレビ系)をプロデュース。同番組で松任谷由実との共作『Kissin' Christmas (クリスマスだからじゃない)』を出演者一同で唄う。
  • 1987年
    • 10月6日、ソロデビューシングル『悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)』発売。以降ソロでの活動が続く。
    • ダリル・ホール&ジョン・オーツと「SHE'S A BIG TEASER」(シングル『いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)』収録)・『REALOVE』(ホール&オーツのアルバム『Oh Yeah!』収録)を共同レコーディング。
    • 12月24日、前年に続き「メリー・クリスマス・ショー」プロデュース・出演。
  • 1988年
    • 3月16日、2ndシングル『いつか何処かで (I FEEL THE ECHO)』発売。
    • 4月21日、河内淳一のアルバム『One Heart』に収録されている『Day After』と『恋に落ちた日 ~ANYDAY YOU LOVE ME~』にコーラスで参加。
    • 6月25日、『みんなのうた』で、サザンでの活動を再開させる。
    • 7月9日、1stソロアルバム『Keisuke Kuwata』発売。
    • 8月、RCサクセションの問題作アルバム『COVERS』に参加。この時には桑竹居助なる変名でクレジットされている。この名義は1984年にサザンのファンクラブ会報『代官山通信』の署名でも使用されていた。
    • 10月、山下達郎のアルバム『僕の中の少年』収録の『蒼氓』に原由子と共にコーラスで参加。
    • 10月14日、ダリル・ホール&ジョン・オーツの東京ドームでのライブに飛び入り出演。
    • 12月31日、『Keisuke Kuwata』で第30回日本レコード大賞・優秀アルバム賞を受賞。
  • 1989年
    • 映画監督に初挑戦。『稲村ジェーン』クランク・イン。
  • 1990年
    • 4月、NHK-FMにてラジオ番組『ミュージック・スクエア』スタート。火曜日のDJを担当。民放での番組とは違い下ネタなどの過激な発言は無かったものの、リスナーからのの投稿ハガキを読む『日本四方山話のコーナー』『句会のコーナー』、洋楽を1曲ピックアップし和訳を読み上げる『訳詞のコーナー』、テーマに添ってベスト3の楽曲を紹介する『My Count Down』などのコーナーが人気であった。また、1週おきにゲストミュージシャンを迎えてのトークも繰り広げた。この番組には同じサザンの野沢秀行や渡辺美里・奥居香・高橋幸宏・杉真理・嘉門達夫・アン・ルイス・松尾和子、河内淳一といったミュージシャンの他、プロレスラーの前田日明も出演した。毎年年始には原由子も出演。1993年4月で担当を終了。
    • 7月、『稲村ジェーン』クランク・アップ。映画公開までに、宣伝を兼ねて歌番組の他、ワイドショー・ニュース・トーク番組などに積極的に出演。また、試写会を藤沢市の海岸で行い、桑田も会場に登場し『恋はお熱く』を唄う。
    • 9月7日、『稲村ジェーン』公開。
    • 第32回日本レコード大賞のポップス・ロック部門において、ロック・ゴールド・ディスク賞、最優秀ロック・ボーカル賞、作曲賞を受賞。大賞にノミネートした「真夏の果実」は最終選考で「おどるポンポコリン」との一騎打ちに敗れる。
  • 1991年
    • 3月24日~26日、新宿のライブハウス「日清パワーステーション」で、洋楽ロックのスタンダードナンバーをアンプラグドで演奏する『アコースティック・レボリューション』を行う。メンバーは小倉博和、小林武史、キース、など多彩な顔ぶれ。
    • 6月、小林武史・小倉博和・今野多久郎と共にゲリラライブを兼ねて中国・北京へと渡り、天安門広場にてボブ・ディランの「風に吹かれて」、SUPER CHIMPANZEEのオリジナル曲「クリといつまでも」、北京の某ライブハウスにてビートルズの「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」等を演奏した。この模様は後に桑田が出演した筑紫哲也 NEWS23などで放送された。この旅行は翌年のサザンの北京ライブへと繋がる。
    • 9月26日、SUPER CHIMPANZEE名義で『クリといつまでも』発売。
    • 10月2日、ライブビデオ『Acoustic Revolution Live at Nissin Power Station 1991.3.26』発売。
  • 1992年
    • 6月27日、企画アルバム『フロム イエスタデイ』発売。KUWATA BAND時代のシングル4作が初CD化での収録となる。
  • 1993年
    • 10月6日、3rdシングル『真夜中のダンディー』を発売。サザン活動中のソロ名義でのリリース。
    • 12月1日、世界エイズデーであるこの日、多数のアーティストを集めた「AAA~アクト・アゲインスト・エイズ」武道館公演を選曲・プロデュースし自らも出演。出演は泉谷しげる・大友康平・アン・ルイス・渡辺美里・福山雅治・原由子など、メリー・クリスマス・ショーにも匹敵する豪華な顔ぶれだった。バックバンドとして小林武史・小倉博和・根岸孝旨・小田原豊・今野多久郎が集い、昭和歌謡曲を中心に多彩なアレンジで参加者がリレー形式で唄った。また、桑田・奥田民生・宮田和弥(当時JUN SKY WALKER(S))・奥居香(当時プリンセス・プリンセス)をメインボーカルに、このライブの為に作られたチャリティーソング『光の世界』が唄われた。この後様々なアーティストが集う形式はAAAで恒例化していくが、桑田がプロデュースしたのはこの1度きりである。昭和歌謡を多彩なアレンジで唄う形は後々の活動の原形となった。特にこのライブで初めて唄われた「ヨイトマケの唄」はその後のソロライブや自身のテレビ番組などでも度々唄われることとなる。
  • 1994年
    • サザン2度目の休業期間に入る。
    • 8月24日、4thシングル『月』発売。CD店などの告知ポスターには「桑田佳祐、今年は一人で歌います」とのコピーの煽りがあった。後年香港でジャッキー・チャンによるカバー曲が発売され大ヒット。
    • 9月23日、2ndアルバム『孤独の太陽』発売。収録曲『すべての歌に懺悔しな!!』が、矢沢永吉と長渕剛を揶揄しているとされ問題となり、桑田が「あれは自分を含めた芸能ロックミュージシャンを歌ったもの」と釈明し、2人に対して謝罪。矢沢は「全く気にしてない。それより桑田君の方は大丈夫か?」と大人の対応をするが、長渕は『views』誌上にて「俺は桑田佳祐を許さない!」などとコメント。ファン、マスコミを巻き込んでの一大論争に発展。その直後、長渕が大麻の不法所持で逮捕され、なし崩し的に沈静化する。詳しくはすべての歌に懺悔しな!!による論争を参照のこと。
    • 9月~12月、初のソロ名義全国ツアー『さのさのさ』開催。全国各都市で、サザンでは長らく行われていなかったホール・市民会館などの小規模の会場でのライブでファンを喜ばせる。ツアー期間中の10月28日には母校である青山学院大学において「帰って来た青山のダンディー」と題し、学園祭ライブも行う。この日は通常のセットリストに加え、原・関口と共に、母校の思い出を綴った『Ya Ya (あの時代を忘れない)』を唄う。
    • 10月31日、5thシングル『祭りのあと』発売。
    • 12月1日、AAA武道館公演に、出演者の1グループとしてサザンが登場しオリジナル曲5曲を演奏。ソロ活動中の同年において、久々にバンドとして、更に休養中の関口和之も復帰し、6人揃っての登場となりファンを喜ばせた。また、桑田佳祐&Mr.Childrenとしても『奇跡の地球』を初披露。
    • 12月21日、ライブビデオ『すべての歌に懺悔しな!! -桑田佳祐LIVE TOUR'94-』発売。『さのさのさ』ツアー終了前に発売された。
    • 12月31日、「月」で第36回日本レコード大賞・優秀賞を受賞、『孤独の太陽』でアルバム大賞受賞。ソロツアー「さのさのさ」最終日、横浜アリーナにおいて年越しカウントダウンライブ。
  • 1995年
    • 1月23日、共に編曲などで交流のあった小林武史との縁により、Mr.Childrenと桑田佳祐&Mr.Children名義で『奇跡の地球(ほし)』をチャリティーシングルとしてリリース。前年AAAで披露されていただけに、ファン待望の作品化となった。
    • 4月、「桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド ~やさしい夜遊び~」(現・TSUNEISHI GROUP SATURDAY NIGHT CRUISE 桑田佳祐のやさしい夜遊び、TOKYO FMなどJFN全国ネット)スタート。自身がパーソナリティを務め、現在も続く長寿番組になっている。
    • 4月~5月、Mr.Childrenと共演のライブツアー『LIVE UFO '95桑田佳祐&Mr.Children“Acoustic Revolution with Orchestra”奇跡の地球(ほし)』開催。『奇跡の地球』の他にビートルズなどの洋楽も披露した。
    • 12月1日、Act Against AIDS'95をタイのバンコクにて開催。小林武史や小倉博和らと共に「真夏の果実」「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」の他、ビートルズやジョン・レノンのナンバーなど計7曲を歌う。
    • 12月31日、横浜アリーナで行われた岸谷五朗主催のアミューズのイベント『THE VARIETY III 異業種共演 大晦日の宴 ~FOR AAA』に出演。サザンとしての年越しライブに替わる出演で、桑田はカウントダウンの直前に登場。爆風スランプの演奏で「勝手にシンドバッド」を唄い1996年を迎えた。また、出演者の石橋貴明・唐沢寿明・岸谷五朗と共に「ゴロー&センズリッターズ」として桑田の書き下ろしの曲『長嶋は教祖なんかと違います』を唄い、唐沢は本業とは違うコミカルな一面を見せた。カウントダウンの瞬間は残念ながら年が明けるよりも数十秒も早く曲が終わってしまい、年が明けるまで出演者がMCのみで会場を煽ったが、かなり間の悪いものになってしまった。これは年を跨ぐ瞬間に合わせて演奏・演出など全てを合わせるのが非常に難しい事を表しており、サザンでの年越しライブが時間調整などを含めていかに高いレベルでライブが作られているのか改めて分かる結果ともなった。
  • 1996年
    • 4月、斎藤誠のシングル『今 僕を泣かせて』にコーラスとスライドギターのソロでゲスト参加。
    • 12月1日~12月3日、桑田にとって初のAAA単独ライブ『Act Against AIDS '96 夷撫悶汰レイト・ショー ~長距離歌手の孤独 in Jazz Cafe~』開催。このライブのみ夷撫悶汰(いヴもんた)の変名を用いて1940~60年代のスタンダード・ジャズを全27曲、ミュージカル的な演出を交えて演奏。
  • 1997年
    • 3月5日、ライブビデオ『夷撫悶汰レイト・ショー~長距離歌手の孤独 in Jazz Cafe~』発売。
    • 9月、サザンが影響を受けたバンドであるリトル・フィートのギタリスト、ローウェル・ジョージのトリビュート・アルバム『ROCK AND ROLL DOCTOR』のレコーディングのため渡米。「日本人でリトル・フィートのカバーを任せられるのはこの人だけ」と、唯一の日本人ボーカリストとして抜擢され「LONG DISTANCE LOVE」を歌った。10月には同アルバムが日本でもリリース。
    • 10月、桑田がAAAで『サルビアの花』などをカバーした事もある早川義夫に、書き下ろしの新曲『アメンボの唄』を提供。作詞曲の他、ギター・コーラスでレコーディングに参加。テレビ朝日系バラエティー番組『人気者で行こう!』エンディングテーマに起用され、早川と共に桑田も番組のエンディングに出演していた。
    • 11月28日~12月1日、『Act Against AIDS '97 桑田佳祐 歌謡サスペンス劇場』開催。昭和の歌謡曲を全30曲披露し、長らく放送禁止曲とされてきた岡林信康の『チューリップのアップリケ』も熱唱。その模様は深夜とはいえテレビで放映された。
  • 1998年
    • 11月30日~12月2日、『Act Against AIDS '98 桑田佳祐 オールリクエストショー』開催。桑田に歌ってほしい曲のリクエストをファンから募り、全30曲のリクエスト曲を披露。このライブでの桑田はパジャマにスリッパという衣装だった。
  • 1999年
    • 11月30日~12月2日、『Act Against AIDS '99 桑田佳祐 エリック・クラプトソ 横浜公演』開催。クリーム、ブラインド・フェイスの曲やエリック・クラプトンソロの曲など全26曲を披露。途中原由子もアコースティックギター・コーラスで参加し、12月1日公演のアンコールには関口和之も飛び入り参加した。
  • 2000年
    • 1月29日~2月5日、FC会員限定ライブ『伊豆だらけのローラ』開催。
    • 5月、山下久美子のデビュー20周年記念セルフカバーアルバム「THE HEARTS」に収録される『バスルームから愛を込めて』にコーラスで参加。アルバムは6月25日に発売。歌詞カードには山下と桑田が一緒に写ったポラロイド写真も載っている。
    • 8月、自身の故郷・神奈川県茅ヶ崎市でサザンとして凱旋コンサート『茅ヶ崎ライブ』を行い話題を呼ぶ。
    • 10月、「桑田佳祐の音楽寅さん ~MUSIC TIGER~」(フジテレビ系)放送開始。
    • 11月30日~12月2日、『Act Against AIDS 2000 桑田佳祐が選ぶ20世紀ベストソング』開催。「21世紀に残したい曲」をテーマに桑田が選曲した全28曲を熱唱した。
    • 12月31日、サザンの大ヒット曲『TSUNAMI』で第42回日本レコード大賞を受賞。「やっと、ひばりさんの背中が見えました」とコメント。
  • 2001年
    • サザン2度目の休業期間に入り、各メンバーソロ活動を開始。
    • 7月4日、6thソロシングル『波乗りジョニー』発売。発売に合わせ、地方都市でFMラジオ公開生放送と、ライブ『古賀紅太No Reason! ライブハウスツアー』とを同時進行の形で行う。ラジオ放送は各地で数千人もの観客を集め好評を得た。ライブはサザンとしての全国ツアーに替わる企画で、佐賀・青森・奈良など、それまでツアーで行く事が少なかった土地でも行われ地方ファンを喜ばせた。
    • 8月7日、ラジオ番組内で、大森隆志のサザン脱退を発表。「プロになる気は無かったメンバーをまとめ、プロの世界に導いたのは大森。彼がいなければ自分達は世に出る事は無かった」と語る。
    • 10月24日、7thシングル『白い恋人達』発売。桑田ソロ名義のシングル最高売上を記録。
    • 11月30日~12月2日、『Act Against AIDS 2001 桑田佳祐 plays "The Beatles" クワガタムシ対カブトムシ』開催。ビートルズの曲を全38曲熱唱。ライブ初日にはビートルズのギタリスト・ジョージ・ハリスン逝去の訃報が報じられ、ステージで黙祷を捧げた。
    • 12月6日、やまだひさしのラジアンリミテッドの企画でGLAYと競演。この模様は「桑田佳祐 meets GLAY スーパーFM」としてOAされた。最後はジョン・レノンの『Happy Xmas (War Is Over)』をGLAY、番組スタッフを交えて全員でセッション。
    • 12月22日~12月24日、札幌市の月寒グリーンドームで『桑田佳祐 Xmas LIVE in 札幌』開催。当初は札幌ドームを借りるつもりでいたが計画したときには既に埋まっており、ライブのMCで月寒ドームになってしまった事をぼやいていた。ライブではサザン・ソロ・KUWATA BANDの楽曲の他、『サンタが街にやってくる』『赤鼻のトナカイ』等のクリスマスソングも唄われた。また、24日のライブ終了後にはフジテレビ系『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』のクリスマス特番の生中継も入り、会場の外で一面の雪とライブを見ていたファンに囲まれ『白い恋人達』をピアノ弾き語りで唄った。
    • 12月31日、「白い恋人達」が第43回日本レコード大賞金賞受賞。最有力候補だったが授賞式を欠席。大賞は浜崎あゆみに。
  • 2002年
    • 『波乗りジョニー』『白い恋人達』の2作で、第16回日本ゴールドディスク大賞 ソング・オブ・ザ・イヤー受賞。
    • 6月26日、8thシングル『東京』発売。ファンクラブ誌上にて「石原慎太郎に物申すみたいな気持ちで作った」とコメント。
    • 8月10日、茨城県ひたちなか市で行なわれた邦楽ロックの音楽祭・ROCK IN JAPAN FESTIVALに参戦。2日目のトリを務める。未発表の新曲『BLUE MONDAY』『東京ジプシー・ローズ』(翌月発売のアルバムに収録)他、全14曲を熱唱。
    • HOUND DOGのSHIBUYA-AXでのライブに飛び入り出演。大友康平とサザン初期の楽曲、『熱い胸さわぎ』収録の『恋はお熱く』を歌う。
    • 9月22日、スペースシャワーTVの日比谷野外音楽堂でのライブイベント『SWEET LOVE SHOWER』にトップバッターで出演。当日までシークレット扱いで一般には一切知らされておらず、観客を驚かせた。桑田はプロレスの覆面を被って登場し、全5曲を歌唱。
    • 9月26日、3rdアルバム『ROCK AND ROLL HERO』発売。
    • コンサートツアー『けいすけさん、色々と大変ねぇ。』スタート。ソロアーティストとして初めて全国5大ドームツアーを開催。
    • 11月27日、初のソロベストアルバム『TOP OF THE POPS』発売。ソロ名義で1980年代、1990年代、2000年代と3世代に渡ってオリコンアルバムチャート1位を達成。3世代以上での1位は男性ソロでは長渕剛(1970年代を含め4世代)、井上陽水(3世代)に次ぐ3人目の快挙。
    • 12月11日、PV集『桑田佳祐ビデオクリップス2001~2002 D.V.D. WONDER WEAR』発売。
  • 2003年
    • 『東京』で第17回日本ゴールドディスク大賞 ソング・オブ・ザ・イヤー受賞、『ROCK AND ROLL HERO』と『TOP OF THE POPS』の2作がロック & ポップ・アルバム・オブ・ザ・イヤーを受賞。
    • 2月、『東京』が「SPACE SHOWER Music Video Awards 03」BEST VIDEO OF THE YEARを受賞。
    • 3月26日、ライブビデオ『桑田佳祐ライブビデオ「けいすけさん、ビデオも色々と大変ねぇ。」』発売。
    • 7月23日、『涙の海で抱かれたい 〜SEA OF LOVE〜』をリリースしサザンでの活動を再開。
    • 11月、桑田の息子が通う高校の学園祭でシークレットライブを行い、『勝手にシンドバッド』『涙の海で抱かれたい』等を歌った。この模様は女性週刊誌で報じられた。バンドメンバーは桑田の他に原や小倉博和・三沢またろう。4人とも学校の制服を衣装としていた。
    • 12月2日~12月4日、『桑田佳祐 Act Against AIDS 2003 栄光のDISCO & SOUL』開催。ディスコ&ソウルをテーマに1960~70年代のディスコナンバー全34曲を披露。原由子・野沢秀行もゲスト出演した。
  • 2004年
    • 11月30日~12月2日、『桑田佳祐 Act Against AIDS 2004「THE GOLDEN AGE OF BRITISH ROCK ~愛と青春の英国ロック~」』開催。1960~70年代を中心とした“英国ロック”をテーマに全31曲を熱唱。
  • 2006年
    • 7月17日、ゆかりのある小林武史、Mr.Childrenの桜井和寿らが主催する「ap bank fes'06」にソロとして出演。最終日となるこの日は、桜井と1995年に発売された『奇跡の地球』を11年ぶりにセッションし、話題となった。ソロでの出演であったが、サザン名義での楽曲『いとしのエリー』『真夏の果実』も披露した。
    • 8月26・27日の2日間、桑田がサザンを中心としてアミューズ所属のアーティストに呼びかけ、初の自身主催となる野外フェスティバル「THE 夢人島 Fes.2006」を開催。アミューズ外からもGLAY、Mr.Children、Dragon Ash、更には加山雄三など桑田とゆかりのあるアーティストがスペシャルゲストとして出演。
    • 11月30日~12月2日、『桑田佳祐 Act Against AIDS 2006「星条旗よ永遠なれ!? ~私のアメリカン・ヒーローズ」』開催。桑田が影響を受けた1960~70年代のアメリカンミュージック37曲を熱唱した。
  • 2007年
    • 約5年ぶりにソロ活動を再開。
    • 5月16日、9thシングル『明日晴れるかな』発売。
    • 8月22日、10thシングル『風の詩を聴かせて』発売。
    • 12月5日、11thシングル『ダーリン』発売。
    • 2002年の『けいすけさん、色々と大変ねぇ。』以来5年ぶりとなるソロコンサートツアー『呼び捨てでも構いません!!「よっ、桑田佳祐」SHOW』開催。11月下旬から大晦日までの6都市14公演を敢行。
  • 2008年
    • 3月12日、ツアー『呼び捨てでも構いません!!「よっ、桑田佳祐」SHOW』の12月31日のファイナル公演の模様を収めたライブDVDと、2007年発表のソロ楽曲9曲に、新曲1曲と原由子のソロ曲「大好き!ハッピーエンド」を加えたCDのセット『桑田さんのお仕事 07/08 〜魅惑のAVマリアージュ〜』を発売。
    • 3月23日、『全国民放 FM53局 & KDDI present 桑田佳祐アコースティックライブ in 石垣島』が開催され、全国の民放FM局53社に同時ネットで生中継された。
    • 5月19日、同日付でサザンオールスターズとしてのバンド活動再開を発表。同時に、翌年以降バンド活動の無期限休止を発表。第4期ソロ活動はこの年の3月まででいったん終了した形だが、2009年以降の桑田のソロ活動については未定。


<エピソード>

  • 数多くの変名を使用しているがこれらの名前の由来は以下のとおり。いずれも桑田の遊び心が感じられる名前である。
    嘉門 雄三(かもん ゆうぞう)
    1981年ライブ「嘉門雄三&Victor Wheels」等で使用。英語の「COME ON(カモン)」と同郷で桑田が敬愛する「加山雄三」から。
    桑竹 居助(くわたけ いすけ)
    1988年、RCサクセションのアルバム『COVERS』等で使用。名前の区切りを変えたぎなた読み。漢字は当て字である。
    夷撫 悶汰(いヴ もんた)
    1996年のAAAライブで使用。フランスの俳優「イヴ・モンタン」より。
    古賀 紅太(こが こうた)
    2001年、シングル「波乗りジョニー」PV等で使用。桑田がCMソングを担当した「コカ・コーラ」のもじり。
  • 父親が茅ヶ崎で映画館を経営していたため、幼少時より映画を大量に見た。
  • また、TVで見た「シャボン玉ホリデー」の「都会的な笑いのセンスが、自身の曲づくりの原点になっているという。
  • 姉の岩本えり子はいくつかサザン、桑田ソロの曲で英語補作詞として参加している。桑田によると、作詞に行き詰ったときに電話で相談し、参考にしているとのこと。
  • 桑田が音楽に興味を持ったのは姉・えり子の影響が大きい。学生時代は姉が集めていたビートルズ等のレコードを聴き入っていたという(当時レコードは高価なものであったが、家にはビートルズのレコードがすべてあったという)。高校3年でエレキ・ギターを買ってもらい、本格的に音楽に目覚めた。
  • 石黒ケイは親戚で近所に住んでいた。
  • 中学生から高校生にかけ、今は無きパシフィックホテル茅ヶ崎のボウリング場でジュニアボウラーとして鳴らしていた。アベレージは200以上あったらしく、クイズ番組「カルトQ」でも問題として出題された、アマチュアのボウリング大会に出た時の公式記録は297(10フレーム目の3投目だけは7本倒し、それまでの11投は全てストライク)との事。昭和40年代、大ブームだったプロボウラーを目指してもいたという。当時ジュニアボウラーはあまり多くなく、パシフィックボウル茅ヶ崎で一緒にしのぎを削っていたのが同い年で友人の文化放送アナウンサー、扇一平である。中・高校時代の友人達は後にワイドショーのインタビューに応じ「昔は桑田は歌手じゃなくてプロボウラーになりたがっていた」と語っていた。
  • 高校は地元の神奈川県立茅ヶ崎高等学校に行く予定だったが、不合格。滑り止めで受験した鎌倉学園高等学校に通うことに。在学中は英語のみ成績が良く、ほとんど受験勉強をしなかったにもかかわらず、明治学院大学と青山学院大学に合格し、青山学院を選択する。ちなみに大学は一度留年した後に、学費滞納により4年在学したのち1978年に除籍になったとの事(サザンのメンバーで青学に在学していた桑田・大森・関口・原のうち、卒業できたのは関口と原の2人だけである)。
  • 青学時代は20代であるにも関わらず、合宿先などでステテコ・ももひき・サングラスといういでたちであったために、サークル仲間に30代だと言われていた。最も初期に付けられていたバンド名「温泉あんまももひきバンド」は、この時の桑田の風貌から来ている。
  • 同じく青学時代、桑田と関口が所属していた音楽サークル「BETTER DAYS」に原が参加し桑田と知り合う。当初桑田は原の友達の女の子が目当てで原に近づいていたため、原の事は容姿を嘆いたり散々な軽口を叩いていたが、エリック・クラプトンなどの洋楽の好みで気が付けば意気投合、デビューまでの間に完全に付き合っており、サザンのメンバーやサークル仲間の間でも公認的であったという。詳細は原の著書『娘心にブルースを』で語られている。
  • デビュー当時はコミックバンド扱いされていた事もあり、桑田も本意では無いものの芸人的な立ち振る舞いで、特に長門裕之に顔が似ていることを売りにしていた。また、三遊亭圓生、稲川淳二、大橋巨泉などの物真似も披露しており、現在でも度々ネタにしている。
  • 生まれも育ちも湘南であり楽曲でも湘南のイメージが強いものの、桑田自身は湘南という呼称に否定的であり、映画『稲村ジェーン』に出て来る「地元の人間は湘南なんて誰も言わない」というセリフは桑田自身の言葉でもある。サーフィンも中学生時代に友人の板を借りて数回やった事がある程度で、その時は全く立てなかったという。青学時代は「バンドマンとサーファーは敵対関係」と考えていた。デビューしてからも長い間サーフィンには目もくれず、泉谷しげるに丘サーファーなどとネタにされる事もあったが、1993年、37歳にしてサーフィンを始め、現在も続けている。
  • デビュー当時サザンは、本人達にとっては強制的な形で『8時だョ!全員集合』『元祖どっきりカメラ』などのバラエティ番組にも度々出演し、コントやモノマネなどの芸をしていた。ちょうどその頃、ザ・ドリフターズのリーダーいかりや長介が、ドリフ脱退を希望していた高木ブーに代わる新しい人材を探してところで、TBSプロデューサー居作昌果を通して、桑田にドリフ加入を打診していたという。桑田はいかりやとは会うだけ会ったが、具体的なやり取りについては明かされていない。
  • サザンオールスターズは、テレビの歌番組に於ける歌詞の字幕スーパー(テロップ)が流される端緒を作ったとされる。これは桑田の早口の歌い方に視聴者が「歌詞が判らない」と苦情を寄せた為、テレビ局が桑田の歌い方に対応するために歌番組でのテロップ表示を行ったとのことである。
  • 笑福亭鶴光のもとを破門になった元落語家、笑福亭笑光こと鳥飼達夫は1981年12月、桑田のソロ名義のライブ「嘉門雄三&Victor Wheels」のライブに前座として出演。翌1982年にはビクターの営業マンとしてビクター社員達と共に「チャコの海岸物語」の宣伝活動に回りながらサザンのライブの打ち上げにも毎回顔を出し、次第に桑田に気に入られる。そして鳥飼は「『嘉門』の姓を譲ってほしい」と桑田に頼み了解を得て、嘉門達夫と名乗るようになる。その後も現在に至るまで、桑田は嘉門の替え歌を容認し続けるなどの仲である。
  • 振り付け師南流石の芸名の名付け親である。南は流石組を率いて、サザンの1988年のライブ「大復活祭」や、原の1991年のソロライブ「花咲く旅路」にも振付師・ダンサーとして出演し、原がライブでダンスを披露する際にも振り付けを担当した。
  • オカマのことを「男と女のハーフだからニューハーフだね」と、大阪のあるラジオ番組で「ベティーのマヨネーズ」のママに名付け、『ニューハーフ』という言葉を世間に広めた。しかし本人は自分が広めた訳ではないと否定している。
  • 独特の歌唱法は、日本人からは高校時代より大ファンだった前川清からきており、また洋楽ではボブ・ディランの影響が特に強く、学生時代は声質をより近付ける為、ウォッカで喉をうがいし、自宅の部屋にこもって枕に顔を押し付けて大声を出し続ける等の荒行も行っていたという。その結果、1982年頃までの楽曲にしゃがれ声が際立っている作品が多い。しかし、声帯への悪影響も強く、声が出なくなって出血する事もあったらしい。その後は声帯を酷使する極端な歌唱を控えるようになり、しゃがれ声が際立った曲は一部に留まっている。作品の発表時期によって歌声が異なって聴こえるのはこの為である。
  • ニッポン放送の「イマジンスタジオ」完成記念ライヴで、オノ・ヨーコのサインの下に自分のサインと「クソババー」と書いたが、あとで消されたという。
  • プライベートでは良きマイホームパパとしても知られており、ラジオ番組では度々「息子とサーフィンをした」「ギターを教えた」などの話題を話している。特に2000年春、次男の小学校の卒業式に行った際、教室で卒業生の前で当時ヒット中の『TSUNAMI』を生ギターで唄い、この時の様子が雑誌「FRIDAY」に写真入りで掲載された。桑田が唄っている最中、原は教室の後方から桑田の姿をビデオカメラで撮影していたという。
  • 同じアミューズの後輩である福山雅治のことを「マサジ」と呼んでいる。福山に対しては、ラジオや、共演したライブの際に極端にイジり倒す場面も見られるが、実際にはプライベートでも一緒に飲みに行ったりビリヤードをやったりする等の仲である。桜坂を「あんないい曲、マサジに作れるわけがない」との発言は、逆に福山の才能を讃えての言葉とも言える。
  • ちなみに福山は桑田の家でパーティーを行ったときにとてつもなく酔ってしまい、飾ってある皿を投げたりなどしたため桑田の家には立ち入り禁止らしい(泉谷しげる談)。
  • 2008年、サザンがデビュー30周年を迎えるのにあたって、サザンのギタリストとして福山に参加するよう冗談ながら発言。しかしながら、親交が厚いこの2組のコラボが実現する可能性もあるのではないかと予測されている。
  • かつてはヘビースモーカー(銘柄はハイライト)だったが、1999年10月23日から禁煙を開始[1]。以来、口元が寂しくなるとチュッパチャプスを舐めるとラジオで語った。また、お酒は普段は朝まで飲むのだが、コンサートツアー中は一滴も飲まない。また、目覚めがよくここ10年は目覚まし時計を使ったことが無いとのこと。
  • ゆずがまだ無名の頃にラジオ出演していた桑田に対して「桑田さんと路上ライブをやってみたい」といった趣旨の手紙を送ったところ、桑田は本当にゆずの路上ライブに出向き、桑田佳祐&ゆずという夢のセッションをしたことがある。
  • サザンの大ファンとして知られる平井堅は、学生時代は「NO-NAME(サザンのシングル『EMANON』の逆さ読み)」というコピーバンドを組んでおり、また、桑田の自宅の門の上に「コーラスでいいので雇ってください」とメッセージを添えたデモテープを置いて行ったという過去を持つ(ミュージックステーション出演時に発言)。このテープに関し桑田は「つめが折ってなかったから、EXILE録っちゃった」と冗談交じりに発言している。2003年の「FNS27時間テレビ~みんなのうた」内の『桑田佳祐の音楽寅さん ~MUSIC TIGER~サザンオールスターズスペシャル』では、桑田・原と共にサザンの『栞のテーマ』をハモり、夢の共演を果たした。さらに、2ndシングル『片方ずつのイヤフォン』の歌詞には“Southern All Stars”が登場し、アルバム『Ken's Bar』ではKUWATA BANDの『ONE DAY』をカバーしている。
  • 度々髪型を変えたり髭を伸ばす事もあり、CDのジャケット毎にイメージが異なる。特に桑田が四十路を迎え、アルバム『Young Love』リリースの1996年頃はそれまでになかった程、髪をロングヘア・茶髪にしてメディアに登場していた。本人は気に入っていたのだがファンからは概ね不評で、抗議のファンレターまで届いたほどだという。翌年には元の短髪に戻していた。1999年秋~冬頃にはパーマもあてていたが、その期間も短く1999年末の年越しライブ「晴れ着DEポン」の時にはすぐに戻していた。このパーマに失敗したらしく、『TSUNAMI』の大ヒットで特にメディア出演が多かった事ゆえ、この時の髪型にはかなり後悔していた。
  • ラジオなどで度々クラプトンやレイ・チャールズをリスペクトする発言が目立つものの、本人に会ったことは一度も無いという(会えるチャンスは何度もあったとのこと)。これは「心底惚れたミュージシャンの普段の姿は見たくない」というファン心理からであるという。



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