特に自身のラジオ番組『TSUNEISHI GROUP SATURDAY NIGHT CRUISE 桑田佳祐のやさしい夜遊び』(TOKYO FM製作)では毎週のごとく下ネタを連発している。お題がセクシー路線の場合、リスナーからの投稿は殆ど、桑田が思わず放送禁止用語を言ってしまいそうなネタが多い。番組内の企画である『1.2のサザンクイズ』では、選択肢に放送禁止用語やセクハラまがいの内容が入っているのが恒例。尚同じ事務所のアミューズの福山雅治と同じく大のアダルトビデオ好きで、夏目ナナや及川奈央の大ファンとラジオで公言している。2003年の桑田の誕生日で福山から及川奈央の2枚組DVDをプレゼントで貰った事もラジオで言っている。
1986年のKUWATA BAND結成時には、桑田が「ロックを唄うのは英語しかない」と考えが行き着いた頃で、英語詞の洋楽テイストに拘っていたこともある。その結果、KUWATA BAND唯一のスタジオアルバム『NIPPON NO ROCK BAND』は、日本語詞中心に構成されたシングル曲は一切未収録とし、全曲新曲の全英語詞アルバムになった。しかし、発売後暫くは自身も完成度に満足していない旨の発言が目立っていた。その後考え方に変化が見られたのか、現在ではソロ名義のコンサートでKUWATA BANDの楽曲(シングル曲のみ)が演奏されることも多くなっている。
2008年3月23日に、沖縄県・石垣島で行われた桑田の特別ライブ「Meet the Music 2008! 全国民放FM53局&KDDI present 桑田佳祐アコースティックライブ in 石垣島」の模様が日本全国の民放FM53局(JFN系列38局、JFL系列5局、MegaNet系列4局及び独立局6局)で同時生中継された。これは、全国の民放FMラジオ全局で構成する「全国FM連合」がKDDIの特別協賛によるキャンペーンの一環として、TOKYO FMが幹事局となって製作。系列の異なるFMラジオ局がネットワークの垣根を越えて1人のアーティストのライブ中継を放送するのは史上初の試みである。
9月〜12月、初のソロ名義全国ツアー『さのさのさ』開催。全国各都市で、サザンでは長らく行われていなかったホール・市民会館などの小規模の会場でのライブでファンを喜ばせる。ツアー期間中の10月28日には母校である青山学院大学において「帰って来た青山のダンディー」と題し、学園祭ライブも行う。この日は通常のセットリストに加え、原・関口と共に、母校の思い出を綴った『Ya Ya (あの時代を忘れない)』を唄う。
4月、「桑田佳祐のキヤノンFMワンダーランド 〜やさしい夜遊び〜」(現・TSUNEISHI GROUP SATURDAY NIGHT CRUISE 桑田佳祐のやさしい夜遊び、TOKYO FMなどJFN全国ネット)スタート。自身がパーソナリティを務め、現在も続く長寿番組になっている。
4月〜5月、Mr.Childrenと共演のライブツアー『LIVE UFO '95桑田佳祐&Mr.Children“Acoustic Revolution with Orchestra”奇跡の地球(ほし)』開催。『奇跡の地球』の他にビートルズなどの洋楽も披露した。
12月1日、Act Against AIDS'95をタイのバンコクにて開催。小林武史や小倉博和らと共に「真夏の果実」「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」の他、ビートルズやジョン・レノンのナンバーなど計7曲を歌う。
12月31日、横浜アリーナで行われた岸谷五朗主催のアミューズのイベント『THE VARIETY III 異業種共演 大晦日の宴 〜FOR AAA』に出演。サザンとしての年越しライブに替わる出演で、桑田はカウントダウンの直前に登場。爆風スランプの演奏で「勝手にシンドバッド」を唄い1996年を迎えた。また、出演者の石橋貴明・唐沢寿明・岸谷五朗と共に「ゴロー&センズリッターズ」として桑田の書き下ろしの曲『長嶋は教祖なんかと違います』を唄い、唐沢は本業とは違うコミカルな一面を見せた。カウントダウンの瞬間は残念ながら年が明けるよりも数十秒も早く曲が終わってしまい、年が明けるまで出演者がMCのみで会場を煽ったが、かなり間の悪いものになってしまった。これは年を跨ぐ瞬間に合わせて演奏・演出など全てを合わせるのが非常に難しい事を表しており、サザンでの年越しライブが時間調整などを含めていかに高いレベルでライブが作られているのか改めて分かる結果ともなった。
1996年
4月、斎藤誠のシングル『今 僕を泣かせて』にコーラスとスライドギターのソロでゲスト参加。
12月1日〜12月3日、桑田にとって初のAAA単独ライブ『Act Against AIDS '96 夷撫悶汰レイト・ショー 〜長距離歌手の孤独 in Jazz Cafe〜』開催。このライブのみ夷撫悶汰(いヴもんた)の変名を用いて1940〜60年代のスタンダード・ジャズを全27曲、ミュージカル的な演出を交えて演奏。
1997年
3月5日、ライブビデオ『夷撫悶汰レイト・ショー〜長距離歌手の孤独 in Jazz Cafe〜』発売。
9月、サザンが影響を受けたバンドであるリトル・フィートのギタリスト、ローウェル・ジョージのトリビュート・アルバム『ROCK AND ROLL DOCTOR』のレコーディングのため渡米。「日本人でリトル・フィートのカバーを任せられるのはこの人だけ」と、唯一の日本人ボーカリストとして抜擢され「LONG DISTANCE LOVE」を歌った。10月には同アルバムが日本でもリリース。
11月28日〜12月1日、『Act Against AIDS '97 桑田佳祐 歌謡サスペンス劇場』開催。昭和の歌謡曲を全30曲披露し、長らく放送禁止曲とされてきた岡林信康の『チューリップのアップリケ』も熱唱。その模様は深夜とはいえテレビで放映された。
1998年
11月30日〜12月2日、『Act Against AIDS '98 桑田佳祐 オールリクエストショー』開催。桑田に歌ってほしい曲のリクエストをファンから募り、全30曲のリクエスト曲を披露。このライブでの桑田はパジャマにスリッパという衣装だった。
1999年
11月30日〜12月2日、『Act Against AIDS '99 桑田佳祐 エリック・クラプトソ 横浜公演』開催。クリーム、ブラインド・フェイスの曲やエリック・クラプトンソロの曲など全26曲を披露。途中原由子もアコースティックギター・コーラスで参加し、12月1日公演のアンコールには関口和之も飛び入り参加した。
11月30日〜12月2日、『Act Against AIDS 2001 桑田佳祐 plays "The Beatles" クワガタムシ対カブトムシ』開催。ビートルズの曲を全38曲熱唱。ライブ初日にはビートルズのギタリスト・ジョージ・ハリスン逝去の訃報が報じられ、ステージで黙祷を捧げた。
12月6日、やまだひさしのラジアンリミテッドの企画でGLAYと競演。この模様は「桑田佳祐 meets GLAY スーパーFM」としてOAされた。最後はジョン・レノンの『Happy Xmas (War Is Over)』をGLAY、番組スタッフを交えて全員でセッション。
12月22日〜12月24日、札幌市の月寒グリーンドームで『桑田佳祐 Xmas LIVE in 札幌』開催。当初は札幌ドームを借りるつもりでいたが計画したときには既に埋まっており、ライブのMCで月寒ドームになってしまった事をぼやいていた。ライブではサザン・ソロ・KUWATA BANDの楽曲の他、『サンタが街にやってくる』『赤鼻のトナカイ』等のクリスマスソングも唄われた。また、24日のライブ終了後にはフジテレビ系『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』のクリスマス特番の生中継も入り、会場の外で一面の雪とライブを見ていたファンに囲まれ『白い恋人達』をピアノ弾き語りで唄った。
12月2日〜12月4日、『桑田佳祐 Act Against AIDS 2003 栄光のDISCO & SOUL』開催。ディスコ&ソウルをテーマに1960〜70年代のディスコナンバー全34曲を披露。原由子・野沢秀行もゲスト出演した。
2004年
11月30日〜12月2日、『桑田佳祐 Act Against AIDS 2004「THE GOLDEN AGE OF BRITISH ROCK 〜愛と青春の英国ロック〜」』開催。1960〜70年代を中心とした“英国ロック”をテーマに全31曲を熱唱。
2006年
7月17日、ゆかりのある小林武史、Mr.Childrenの桜井和寿らが主催する「ap bank fes'06」にソロとして出演。最終日となるこの日は、桜井と1995年に発売された『奇跡の地球』を11年ぶりにセッションし、話題となった。ソロでの出演であったが、サザン名義での楽曲『いとしのエリー』『真夏の果実』も披露した。