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2009/03/22 18:52|ミュージックTB:0CM:0
タラフ・ドゥ・ハイドゥークスが声を掛け、ジプシー(ロマ)をルーツとする5つのバンドが北米を回ったツアー、“ジプシー・キャラバン・ツアー”に密着した音楽ドキュメンタリー。ルーマニアやマケドニアなど彼らの国で撮影されたプライベートからは、最近までジプシー迫害の中に生きてきた日々や、今でも冠婚葬祭で演奏する彼らの姿も垣間見られる。また、『耳に残るは君の歌声』でタラフと共演したジョニー・デップのインタビューも見どころ。

 

祖国権力も持たない彼らが、生きる為に与えられたものは「音楽」だった。

 

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インドに起源を持ち11世紀から散らばったジプシー

 

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今なお続くロマ/ジプシーへの言われ無き差別と迫害の中で、彼らが奏でる音楽は強靭な響きを持っている

 

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カメラはスペイン、ルーマニア、マケドニア、インドの4つの国の5つのバンドが 6週間を掛けて北米の諸都市を廻る“ジプシー・キャラバン・ツアー”を追い、それぞれのミュージシャンのルーツを訪ねる。

 

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タラフ・ドゥ・ハイドゥークスの稼ぎで成り立っている小さな村、

 

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マケドニアでは、エスマが夫と一緒に引き取った47人の子供たちを自信に満ち溢れた表情で紹介し、

 

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インドでは子供たちが捌くのステージで歌い、いつかミュージシャンになりたいと夢を語る。それぞれの場所で重ねてきた年月が、ステージの上でひとつになる。

 

圧倒的な力が心を揺さぶる―。

 

音楽を通して、人間が生きていくことの根源的な力強さ、そして喜びが映し出された愛深き感動のドキュメンタリー。

 

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スペイン、ルーマニア、マケドニア、インドの4つの国の5つのバンドが6週間を掛けて北米の諸都市を廻るジプシー・キャラバン・ツアーを追い、それぞれのミュージシャンのルーツを訪ねたドキュメンタリー。音楽を通し、人間が生きていくことの根源的な力強さ、喜びが映し出された愛深き感動の作品。ジョニー・デップ特別出演。

 

 

ロマ(ジプシー)はインドにルーツを持つ移動型民族。世界中に散らばって生活をしているが、とくに東欧や南欧に多い。そのロマの人々が住むスペイン、ルーマニア、マケドニア、インドの4つの国から来た5つのバンドが、6週間かけて北米諸都市を回るという「ジプシーキャラバン・ツアー」が行われた。カメラはそのステージの模様やツアー間のバンドの表情だけではなく、メンバーそれぞれの故郷にも向かい、その音楽的ルーツを探る。

  

ロマ(ジプシー)音楽といっても、その形態はさまざまだ。ロマ出身の監督のトニー・ガトリフの音楽映画『ラッチョ・ドローム』を見ればわかりやすいが、北インドを発祥とするロマの人々の音楽は、移動を重ねるごとにその土地の音楽を取り込み、独特のミクスチャー音楽を作り上げてきた。この『ジプシー・キャラバン』に登場するバンドの使用楽器もバラバラで、民族音楽からポルカ、フラメンコまで音楽性も多様だ。しかしその底には共通するものも流れている。それは彼らの血に流れる「生きる歓びや悲しみ」のストレートな発露だ。遠く離れて活動をしてきたそれぞれのバンドが、ツアーを通じてお互いの共通性を感じとっていく姿は感動的だ。

 

 

キャスト

 

 

スタッフ

 

 

ストーリー

4か国5つのバンドで回る“ジプシー・キャラバン・ツアー”の面々は、北米ツアーの初日を満員のニューヨークで迎えた。この初日から6週間に渡るツアーの模様と、バスでの移動をともにしながら撮影した彼らの素顔を追う。さらに、インドをルーツに各地に広がり、芳醇(ほうじゅん)な音楽を生んだロマの文化と、それぞれの人生にも迫っていく。




ロマ(Roma、単数形はRom)は、北インド起源のロマニ系に由来する移動型民族。移動生活者、放浪者とみなされることが多いが、現代では定住生活をする者も多い。

 

過去、ジプシーとして知られた民族を、ジプシーはエジプト人という誤解から来ていること、及び、ジプシーという言葉が偏見、差別的に使用されていることなどを理由に、最近では彼等全体をロマ(その単数形のロム)と呼ぶようになっている。 ただし、ロマという呼称はジプシー全体を指すものではなく、ジプシーという言葉に差別的ニュアンスがまとわりついているという考えが、即すべてのジプシー集団に共通する見解でもないとされている。

 

ジプシーという呼び名は、「エジプトからやって来た人」という意味の「エジプシャン」の頭音消失したものと言われる。彼らの主流は、インドから移動してきたと考えられているが、非インド起源であることをアイデンティティとするジプシーとして、コソボ紛争で有名になったアッシュカリィやエジプシャンなどがある。

 

 

歴史

彼等は西暦1000年頃に、インドのラージャスターン地方から放浪の旅に出て、北部アフリカ、ヨーロッパなどへとたどり着いた。旅に出た理由は分かっていないが、西に理想郷を求めた、などの説がある。彼らがヨーロッパに史料上の存在として確認できるようになるのは15世紀に入ってからで、ユダヤ人と並んで少数民族として迫害や偏見を受ける事となる。ただしユダヤ人ほどこの事実は強調されていない。

 

皇帝ジギスムントの特許状

初期のロマは神聖ローマ皇帝ジギスムントにより巡礼者として帝国全土の自由な通行を許可されたと称し、いわゆる『皇帝ジギスムントの特許状』[1]を保証として各地を放浪した。しかし15世紀中頃には彼らに対する蔑視が始まり、とくにユダヤ人と彼らを同類とする風説が現れ、18世紀に至るまで広く流布した。1500年には神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世によって『皇帝ジギスムントの特許状』は無効であるとされ、ロマを殺しても基本的には罪に問われないこととなった。ロマが放浪する犯罪者の温床と考えられ、都市では彼らが現れたら教会の鐘を鳴らして合図し排撃した。

 

領邦権力による定住化政策

1761年、オーストリアではマリア・テレジアとヨーゼフ2世の近代化政策の一環として、ロマの定住化が図られた[2]。これらは啓蒙主義に影響された、ある意味でロマへの差別をなくすことを目的とした人道的な同化策だった[3]が、定住や(ヨーロッパ人の考える)文化的な生活の押し付けとなり、ロマたちの拒否するところとなった。1773年にプロイセンのフリードリヒ大王がロマを隔離して定住させようとしたが、結局失敗している。

 

ナチスの絶滅政策

ドイツにおいてはナチスが政権獲得後の1935年に、ロマを「劣等民族」と見なす法律が施行された。ロマの選挙権は剥奪され、非ロマとの結婚禁止、商売の禁止、学校入学の禁止、ドイツ国内での移動禁止などが主な内容である。その後ロマは強制移住や強制労働政策の対象となり、収容されたロマには優生学的な観点から、強制的断種手術が行われた。 第二次世界大戦によりドイツの占領地域が広がると、ナチスは再び多数のロマを抱えこむことになった。ナチスが「最終解決策」と呼んだ政策で、ロマはユダヤ人と同様にホロコーストの対象とされた。正確な数は不明であるが、戦争中に約50万人のロマが殺害されたとされる。強制収容所への移送を待たずに現地で殺害されたものも多かった。ナチス親衛隊特別行動部隊「アインザッツグルッペン」が東欧の占領地域に派遣され、ユダヤ人、共産党員、ソ連軍捕虜とともに、多数のロマが殺害された。ナチスの被害にともなう戦後補償について、現在もロマはユダヤ人より不利な扱いを受けている。

 

戦後のロマ

第2次世界大戦を経てロマの人口は減少した。社会主義体制となった東欧とソ連圏では、ロマの労働者化をすすめるために移動禁止令が制定された。(ソ連1956年~ポーランド1964年)これらはロマが少数民族であることを否定して、強制的に定住を求める同化政策であった。西欧諸国ではロマへの強制同化政策は採用されなかったが、国内のロマを少数民族とみとめて権利を与えることはなかった。例外的に、1974年にユーゴスラビアが、1979年にハンガリーが、ロマを少数民族と認定していた。スイスでは、1926年から1972年まで政府の支援を受けた民間団体・「青少年のために」が1000人以上の子供のロマを親元から誘拐し、施設に収容したり、スイス人の家庭へ養子として引き渡された[4]。 ドイツでは1995年に、ドイツ国籍をもつロマを少数民族と認定している。戦後の経済変動のなかでロマの生業は成立しなくなり、ロマの経済的な困窮は一段とすすんだ。

 

コソボ紛争

1999年のコソボ紛争では、コソボ地域内の少数派セルビア人住民に荷担されたとされるロマやアッシュカリィの一部が、報復を恐れて国内避難民化した。

 

 

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